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海外留学

平成21年より2年間ほどフロリダ大学精神科に留学しました。
フロリダ大学はフロリダ州北部のゲインズビルにあり、1853年に設立された州立の総合大学です。学生数はおよそ5万人で、広大な敷地には900を超える建物とゴルフコースが作られており、マンモス校の多いアメリカの大学でも規模の大きさが際立っているようです。卒業生にあまり有名人はいませんが、スポーツドリンクのゲータレードの発祥地と言えば分かっていただけるかもしれません。

私の所属は医学部精神科でしたが、普段はMcKnight Brain Instituteという研究所で働いていました。オランダ人のボスの下、薬物依存、特にニコチン依存の形成と再発のメカニズムについて研究していました。日本にいた頃からラットやマウスを使った基礎実験を経験していたので実験手技自体にはそれ程の苦労はありませんでしたが、やはり言葉や生活習慣の違いには戸惑いました。幸いポスドク仲間を含めてラボの人間関係にも恵まれてとても楽しい留学生活を送ることができました。

私の場合は留学先の選択から留学期間まで全て自分のペースで決めましたが、この医局にはこのような行動を受け入れる寛容さがあります。これは内村教授の人柄はもちろんですが、久留米大学精神科に長く受け継がれた遺伝子に寄るところが大きいのではないかと思い感謝しています。
7月某日、とても暑い日だった。僕は、所属しているSCNラボの室長である西野精治教授の黒のベンツの助手席に座っていた。西野先生が僕に話しかける。「これ失敗したら、我々はここに居れなくなるよ。これよ、これ。」と言って、右手で自身の首を切るような仕草をして見せた。冗談にしては顔は笑っていなくて、僕も真面目な顔で「はい」と答える。暑いのに白衣をまとっている上、うらやましいほどに真っ黒な剛毛に身を包んだ中型犬を抱きしめているおかげで、僕の全身の毛穴からはじゅっくりと汗が噴き出ていた。この犬は全体的に丸っこくてコロコロしている。真っ黒で見た感じは子グマのようだからだろう、その名は「ベアー」という。しかし犬といってもただの犬ではない。餌をやると喜んだはずみに全身の脱力発作が起こる、いわゆるナルコレプシー犬である。かつてスタンフォード大学では、このナルコレプシー犬からその原因遺伝子に迫る研究がなされ、1999年についに「ハイポクレチン」の発見に辿り着いた。ナルコレプシー犬としては、先天性の症状を持つものを純系培養されたドーベルマンの系統が有名だが、ヒトと同じ孤発例であるこの「ベアー」は、さらに希少度のランクが高い。かつて、ここの動物センターで手塩にかけられて育ったナルコレプシー犬たちも、今はその役目を終え、すでにその姿を消しているが、遺伝子発見のそのひと、エマニュエル・ミニョー先生が「この犬だけは」といって自宅に引き取った経緯から、ここに唯一現存する、いわばスタンフォード睡眠研究の生き字引のような存在なのである。そのベアーをなぜ僕が抱きしめているのか。説明が遅くなったが、そのとき、僕たちはウィリアム・デメント先生の本日の講義の主役となる「ベアー」、いや「ベアー様」のお世話係として光栄にもご指名を受け、先ほどミニョー先生の自宅からベアー様をお連れし、スタンフォードの大講義室に赴いているところであった。つまり暑苦しい、などと失礼なことを言ったが実は主役はベアーの方で、僕、いや教授である西野先生でさえ、その日は思いっきり脇役なのであった。

講義をされるデメント先生は、「睡眠学の父」などと評される、睡眠を志す者なら誰しもその名前を知らぬ者はない、というほど著名な先生である。1952年に、シカゴ大学の2年生の時分にレム睡眠の発見者の一人となり、その後睡眠学者となられて数々の輝かしい発見に携わられた。世界で初めての総合睡眠研究所であるスタンフォード睡眠研究所を創設したのは1963年に遡り、現在僕が所属するSCNラボもこの基礎部門の一翼に位置する。デメント先生は現在tenure(テニュア)と呼ばれるスタンフォードの終身教授で、先生のナルコレプシー犬が登場する睡眠の講義は医学部の「名物」の一つに数えられ、学生の間では物凄い人気を誇っているらしい。だから犬のお世話といえど、この任務は「失敗すればクビ」と西野先生が言う位の最重要任務であった。我々の任務はベアー様を大講義室に気分よくお連れすること、そして300人を超える学生の前でベアー様の情動脱力発作を実演することであった。我々は講義の30分以上前にどの学生より先に到着し、僕は片言の英語でベアー様をあやし、西野先生はミニョー先生の奥様から「好物」として手渡されたチーズと、自腹で購入されたヒト用のコーンビーフが袋に入っていることを注意深く確認された。そして誰もいない大講義室の演壇で、二人きり、ベアー様を入れて3人でリハーサルを行った。僕がベアー様を抱いて右端へ。西野先生が演壇中央に、チーズとビーフを1メートル間隔で置いていく。西野先生の合図で僕は、「GO!」といってベアーを解き放つ・・。

リハーサルを終えた頃、「フォッ、フォッ、フォッ」という独特の少し籠った笑い声と共に、そこへデメント先生が現れた。昔、著書の裏側に見た、眉間にしわを寄せ少し気難しそうに写っていた写真とは違い、実に愛嬌たっぷりの笑顔とジョークをいつも絶やさないフレンドリーな先生だ。今年80歳になられたが、毎週金曜のセミナーにはほとんど顔を出され、いつも一番前の席で背中を丸くして、誰よりも熱心にノートを書かれている。

次第に講義室が集まってきた学生の声で賑わってきた。僕達はベアーをあやしながら、出番を待つ。「Ladies and Gentlemen!」意外と派手な紹介だ。僕は言われた通り、満面の笑みを湛えてベアーと共に演壇に出て行った。「キャー」「オウー、ソーキュート!!」女学生からあちこちで黄色い声援が飛ぶ。自分のことではないのに、そう言われるとなんとなく照れる。デメント先生がベアーの経歴を紹介し、さあ出番がきた。西野先生が手際よくエサを手際よく並べ、僕に合図を送る。この手にベアーを抱きしめ、耳元で「wait、wait・・」と囁いていた僕が、「Go!」と言ってベアーを送り出した。ベアーは打ち合わせ通りに餌の方にまっしぐら。・・そしてエサの前に行った瞬間・・・、ベアーはお尻からドスンとへたれこんだ。続いて前腕がカクン、カクンとなって伏せの格好になった。「OH !」学生からは一斉に驚きの声が漏れる。数秒したらまた立ち上がり、次のエサへ。でもまた・・カクン。

情動脱力発作の実演は見事に成功した。最後は、西野先生がベアーの右手を持って「バイバイ」をして見せるという、先生が用意していた小ネタまで炸裂し、学生は大喜びであった。西野先生には悪いが、このとき学生は誰も西野先生が教授であるとは思わなかったに違いない。そんなこんなで、無事にデメント先生の講義は終了し、僕たちはクビにならなくて済んだのであった。
「留学記」といわれ、何を書こうか途方に暮れたが、「このような貴重な体験をさせて頂いている」ということを伝えようとこのエピソードを最初に書いてみた。うむ・・しかしこれでは留学記にならんな、ということに気付いたので、最後に少しありきたりに新しい生活の場を紹介する。

スタンフォード大学は、サンフランシスコから南に車で約40分ほどの人口約5万のPalo Alto(スペイン語で大きな木)という町にある。Palo Altoはその名の通り樹木が多く、気候も温暖で雨も少ない。その上、治安も良いので、特にご年配の方々には全米一の人気を誇り、お金持ちの方々が余生をこの青空の下で楽しもうと、こぞってこの地にやってくる。そのせいで物価は異様に高く(例えばマンション代は久留米の相場の約3倍!)、我が家の経済状況を圧迫している。

空はいつも青い。日本の青々とした色とは違い、ゴッホがひまわりの上に描いた水色に近い。空気は湿気がなくカラっとしていて、洗濯物なんかは部屋の中に干していても翌朝にはパリパリだ。だから、こちらの方には洗濯物を外に干すという習慣がない。12月になると雨季に入り少し雨が落ちるようになるが、ここ最近まで6ヶ月間も雨が降らなかった。こんなに湿気がない、雪が降らない、雨さえ降らない、おまけにランチが毎日ハンバーガーという食生活では、恋人たちのデートはさぞかし味気ないのではないか、などと全くする必要がない心配をしたりする位、全てがあけっぴろげな感じがする。とはいえ、幼い子連れの僕らのような家族には、週末の行楽を計算出来るありがたい気候だ。

仕事の方だが、最近は来る日も来る日もマウスの睡眠脳波を読み続けている。これまで経験のなかった動物実験だが、渡米前にラットに親指の付け根を噛まれ、大量に出血しながらも「全然痛くないよ。全く。」と、笑顔で痛みを全否定して、「動物は怖くない」ことを体で教えてくださった福山先生をはじめ、山田英孝先生、近間くんの教えのおかげで、動物には思ったより早く慣れた。福山先生の手の傷は残らなかっただろうか。あれはどう考えても痛かったと思う。しかし、それにしてもここのラボの売りのひとつである、64匹のマウスの脳波を同時に解析可能なchamberは難敵である。今、僕は32匹のマウスの脳波を週に2回、6時間ずつrecordingしている。つまり、1週間に32匹×6時間×2という、ヒトのポリグラフでは考えられない恐ろしいペースでデータは蓄積していく。今は、一日平均で16夜近くのポリグラフを解析しているが、それでも今進行中の実験の解析が終わるのは、順調に行っても4ヶ月後である。さらに、いろいろとアクシデントにも見舞われた。凹むことも多いが、これこそ基礎実験の醍醐味と自分に言い聞かせ、なるべく前向きに考えるようにしている。そんな感じだ。

皆さんお忙しくてなかなか難しいと思うが、来てくだされば案内できるところは少なくない。特にワイン好きの方、メジャーリーグ好きの方、サーフィン好きの方、ゴルフ好きの方、ネズミの実験に興味がある方には満足して頂けるのではなかろうか。こんな風に書いているが、久留米の先生方のことは、焼き鳥と大冒苑の焼肉の次くらいによく脳裏に浮かんでくる。ぜひ、遊びにきて欲しい。9月、結婚の報告をと、金原先生がわざわざ足を運んでくれた。病棟時代を懐かしみながら一緒にワインを楽しんだのだが、実は彼は来る前日まで、スタンフォードはロサンジェルスにあると考えており、前日ロス行きのチケットを変更してもらわなければ、僕たちは危うく会えないところだった。この前例を踏まえ、スタンフォードの最寄りの空港はサンフランシスコであることを強調しておく。

最後になったが、留学の機会を与えてくださった内村教授、また留学に際してご援助頂いた同門会、および先生方にこの場を借りて深く御礼申し上げる。
2009年の9月から2011年の12月まで、スイスのチューリヒ大学病院に留学していました。スイスはハイジ・チーズ・チョコレート・マッターホルンが有名ですが、そのイメージ通りの「山小屋・草原・牛」がみられ、大変自然豊かな環境で研究活動に励むことができました。私は趣味でホルンを吹きますので、スイスで普通のホルンだけではなくアルプホルンも習い、休日には教会でのミサや地域での演奏会に出演して演奏していました。アルプホルンは3メートル弱にもなる、とても長い楽器なので持ち運びが大変です。しかし、現代科学の粋を集めて開発されたカーボンファイバー製のアルプホルンがあり、たったの1kgで伸縮自在ですので、それを購入して日本にも持って帰りました。本業の研究の方も帰国までに雑誌に1つ論文を載せることができ、非常に大きな成果を得ることができました。まさに公私共に充実した日々を過ごした留学でした。

  • マクドナルドの広告

  • ハイキングで見かけた牛

  • 寮から見た街並み
私が、米国に留学したのは2003年10月〜2006年9月です。当時、同門会誌用に書いた留学記があります。それをもとに、一部改編し紹介させて頂きます。
私は、2000年(平成12年)3月久留米大学医学部卒業、久留米大学医学部精神科に入局し、2年間の臨床研修を経て2002年4月から、久留米大学医学部第1生理学教室の大学院生となり研究生活がスタートしました。実験は、西先生(現、久留米大学医学部薬理学教授)に直接指導を受け、非常に幸運なことに次々ポジティブな結果が得られたため、2003年10月より、西先生から留学先の紹介をして頂き、当時の精神科教授前田先生、第1生理学教授東先生からも快諾され、留学する機会が得られました。留学先は、米国、ロックフェラー大学のPaul Greengard研究室です。ロックフェラー大学は、ニューヨーク市マンハッタンのアッパーイーストにあり、マンハッタンとクイーンズを隔てるイーストリバー沿いにあります。Paul Greengard博士は、2000年ノーベル医学生理学賞を受賞した大変有名な先生です。神経細胞の細胞内情報伝達の概念を確立し、ドーパミン神経に特異的に発現する蛋白を単離同定、その解析から、蛋白リン酸化修飾による細胞内情報伝達を証明されました。以下、2004年久留米大学医学部精神科同門会誌のため書いた留学記から抜粋です。

「昨年10月6日 福岡空港から成田空港を経てニューヨークJFK空港に着きました。ニューヨークはどういう所なのだろうか?研究室は?等々不安を抱きながらの行程だったことを覚えています。同日午前着の飛行機であったため、同日午後研究室へ向かいました。留学が決まった後、英会話の本を2〜3冊買い込み暇なときにパラパラと眺めていましたが、相手が何を話しているのか全く理解できない、自分が話したいことが全く伝えられない、という状況は日本に居たときは理解できませんでした。しかし、初日でその状態が理解できました。自分とパートナーを組んでやっていくポスドクのMyriam Heiman博士が親切、丁寧にいろいろ案内していただけたのですが、話は全く理解できず呆然としました。

研究室には日本の方が一人いらっしゃいます。アメリカに住んで40年の大ベテランで、自分が来た当初は大学の事務手続きから何から何まで本当お世話になりました。今でもお世話になりっぱなしです。久留米大学第一生理学教室の先輩である麻酔科の新山先生夫妻がニューヨークの隣のニュージャージーに留学されていたので、夕食を御馳走になりに何回も遠慮無しに伺いました。いつもありがとうございます。

仕事というのは、言うまでもなく実験、研究です。一生理ではマウスの脳スライスを用いてspinophilinという蛋白のリン酸化を調べていました。今回は、蛋白のリン酸化を調べる点では同じですが、培養細胞に遺伝子を導入し代謝型グルタミン酸受容体という膜蛋白を作成し、それを単離、精製 スクリーニングしてリン酸化サイトを見つけるということを毎日悪戦苦闘しながらやっています。この研究室のボスはPaul Greengard博士ですが、自分は先ほどのMyriamに実験の立ち上げから実験手法から日々のdiscussion から全てお世話になり実際彼女のことをボスだと思っています。実験の進行具合は、実際、新しい実験手法を身に付けそれなりの結果が出るまでに4〜5ヶ月かかり10ヶ月経ったころようやく蛋白の精製に漕ぎ着けたという状態で、毎日毎日失敗の連続です。

研究室の雰囲気は、皆親切で、自分の拙い英語の質問にも耳を傾けてもらえて、今まで嫌な思いは全くなく良かったと思います。中国、韓国、を筆頭にイギリス、フランス、イタリア、ロシア、と世界中からポスドクとして来ています。もちろんアメリカ人が一番多いのですが。研究室の規模としても大きく、ポスドクは30人程、実験助手は20人程の大所帯です。

ロックフェラー大学は日本ではあまり馴染みのない大学だと思います。実際、自分もここに留学するまでは知りませんでした。主に分子生物学、医学に特化した大学院大学です。100年前には野口英世がここで研究していたそうです。過去にノーベル賞受賞者が20数人いらっしゃるそうです。キャンパスはマンハッタンの中にあるためほとんどがビル建築で、ほんの少し緑がありますがグランドなどはなく、どこか企業のオフィスという感じです。大学院生しかいないため騒いでいる学生なども見当たらず落ち着いた雰囲気です。もっとも大学院生も50人程しか在籍していません。

ニューヨークの街についてですが、美術館、演劇、コンサート、野球、毎日お祭りの様に何かが行われていて、やはり大都会だなーと感心します。ここにいる間にいろいろ見ておかないと、と週末はなるべく出かける様にしています。後、日本の物は何でも大人気で、寿司はもちろん日本酒、生け花、盆栽、何でもあります。日本料理屋は常に人気ランキングの上位に位置しています。パーティーに日本酒を持っていった時もみんな何の抵抗もなく飲んでいました。

最後になりましたが、留学に際して快く許可を下さいました東先生、前田先生、研究室を紹介して下さいました西先生、心から御礼申し上げます。」

この後、苦労して見つけたリン酸化サイトは、さほど重要な働きをしていないことが判り、結局、研究の神様から見放されてしまいました。それでも、時間の全てを研究に費やした留学期間は、貴重な経験ができたと思います。海外での生活も、私の価値観を拡げ多様な見方ができるようになったと思っています。現在、改めて、このような、貴重な経験をさせて頂いたことは、周囲のサポートによるものであり、精神科医局員に感謝しております。
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